想いを重ねる

 
 
自分を表現するのならば、他者の表現に目を向けなければならない。自分の思いだけでなく、相手の心を想わなければならない。
それはお互いのプレーや部活にかける想いを理解し合うことであり、その1球に全員が責任を持つことであり
例えばグラウンドの提供という大学の「表現」に、特別大会の開催という協会の「表現」に込められた想いを受け止めた上で
自分の想いを表現するということなのではないでしょうか。
そして一人一人の想いが重なるところにチームの想いが生まれるのではないでしょうか。
 
過去の話はあまりしたくはないですが、少しだけ。
 
1年の秋、BリーグFINAL4のベンチに入りました。下手くそで出ることはなかったですが、先輩たちが試合に懸けてきた想いと勝利に歓喜する姿を近くで見ていました。
 
2年になり、そんな先輩2人がBコーチになりました。A練で萎縮してBにすぐ戻ってきた自分に本気で向き合ってくれました。ですがBリーグのある試合で自分のミスから失点し結果は引き分け。勝ち点が1足りず、1年前自分がベンチで味わった、いや味わったように思っていたFINAL4にチームが進むことはありませんでした。
 
レベルの低い話で、何一つ理解できない人も多いでしょう。自分はその一つのプレーに様々な人の想いが巡ることを、一つの行動が誰かの想いを踏みにじることがあることを分かっていませんでした。
周りの想いに向き合えていれば、その1プレーが勝敗を分けると心から理解していれば、Aでミスを恐れ萎縮することも、忘れられないあの光景を見ることもなかったかもしれません。下を向いて後悔できればどれだけ楽か、僕にはその権利もありませんでした。
 
だから今年こそと思っていました。ですが今はチームが日本一に向かう中走り回ることも叶いません。いつになったら思い切りラクロスができるかも分からない。こんなに様々な感情が揺れることはありませんでした。
ただその中で不思議と勝ちたい思いが日に日に濃く強くなっています。自分にとってはラクロスが楽しいとかではなく、学生日本一になることが最大の望みなのでしょう。
もう歩みは緩めない。チームは変わらずこれからも走り続けるし、何より自分の中に強い想いがあるから。その想いをチームの想いに重ね、勝つために出来ること足りないと思うことをこだわってやる。もどかしくないと言えば嘘になるが、考える時間も誰かに目を向ける時間も沢山ある。その発信をしなければ、上手くなる何かを見逃せば望むものを逃すのではないかと時折怖くなるほどに。
そしてその分いつかはプレーで示さないといけない。学生日本一を自分が責任持って掴み取りたい。必ず強くなって戻り、今年こそと決意した舞台に立ち、GBへの一歩に、一つのカバーに、その一点に執着する。
 
どこか目を逸らしていた弱い部分が表現「された」かつての自分とは違うと示す。
ラクロスができる喜びと感謝を
何より学生日本一になるという自分の思いを表現してみせる。
 
 
3年MF#15 森山裕行

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