思っていること

 
 
目的があり、目標があり、手段がある。この順番を考えたとき、「表現」というスローガンはそれ自体が目的にも手段にもなる。
 
個人やチームとして表現したいものを追求し、それを多くの人に見てもらうのは素晴らしいこと。でも、このスローガンが求めているのはもっと先の理想のはずで、突き詰めた表現が目標を達成するための手段になってはじめて生まれる価値もある。その価値が目標を達成しなければ得られないということは、ずっと忘れたくない。
 
だからこそ、お互いの表現を認め合うというのは本当に大変なことなんだろう。「すべての行動が自分の表現につながっているのか」「それで突き詰めたといえるのか」。こういった問いをチーム内で続けなければ、やっているのは単なる馴れ合いだし、好きなことをやるだけの集団になってしまう。
 
プレーヤーとしても、部員としても、一人の人間としても、毎日足りないことがたくさん見えてくる。学生日本一たるチーム、その先の価値に出会うためには、もっと行動が必要だと思う。
 
 
「思い」というのはポジティブなものだと考えていた。こうなりたいとか、こうしたい、というもの。その人を突き動かすもの。その人の軸のようなもの。
 
FINALで自分たちのラクロスを表現したい。勝ってBBに関わるすべての人たちと喜びたい。33期の人たちと勝ちたい。ラクロス部を、東大を代表する部活にしたい。
 
こうしたポジティブな思いは部活をやっていて実際に感じるし、意識している瞬間はある。でも、それが自分の軸にあるか、本心かと言われると、自信をもって答えられない。
 
振り返ってみると、自分が行動を起こすとき、そこにあるのはネガティブな感情であることが多い。部活においては、不安や悔しさといったもの。
 
試合で負ける場面を想像して、終わってから後悔するのはこういう部分なんだろうなと不安になる。周りから「この程度のプレーか」って思われてるだろうなと想像して悔しくなる。
 
そういう時は、自然と行動を起こしたいと思う。自分の本心に動かされている感じがする。
 
僕の場合、リーグ戦では自分のすべてが試される。この部活での時間をどう過ごしてきたか、もっと言うと、これまでの人生でどんな選択をしてきたかがすべて結果になる。来年も再来年も関係なく、これまでの人生が目の前の一つひとつにつながってくる。
そんな舞台での負けは自分が否定されるようなもので、負けたくないと心の底から思う。今の僕にとってこのチームは自分と切り離せないものだから、チームの結果を投げ出すこともあり得ない。
 
だから毎日不安になるし、獨協戦を振り返っても悔しくなる。
 
この部活に入ってから満足して過去を振り返ったことはなくて、それを変えたいと思ったこともない。けれど、今シーズンの終わりに「このチームで勝ててよかった。充実した時間を積み重ねてきてよかった。」そう心から思える瞬間が来るなら、その景色は見てみたい。
 
だからこそ、まだまだ不安に向き合っていく。FINALが始まるその瞬間まで、足りないものを考え続ける。
 
 
2年MF #31 石川龍太

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