丸山唯我「考えていること」

 


 

入部して4年目、振り返ってみると自分の信念は大きく変わりました。
 

「変わった」というと、「入部した頃にはAという考え方だったのが、いろんな経験をして今はBに落ち着いた」というニュアンスですが、実際には「AになったりBになったり、はたまたCっていう新しい考え方に傾倒してみたり、Dっていう考え方を教えてもらって疑心暗鬼にではあるけど信じてみたり……」という方が正しいです。つまり、これを書いている今でも、「僕の信念はこれです!」と自信をもって言いきることができる唯一解はないです(この文章で言う「信念」という語が正しいのか分かっていませんが、「様々な局面における判断の根拠となったり、考え方の方向性を示したりしてくれる軸」的なものをイメージしてください)。

 

そんな自分を振り返って、柳みたいに軸がない=ダメ、と負の刻印を押してしまうこともありました。「ひとつの自分。それに対応するひとつの信念。」みたいなものがあると無条件に信じて、それを見つけられない自分が恥ずかしかったし、焦っていました。同じような焦燥感に駆られている人も多いんじゃないかと思います。

 

けど、今思うのは、「自分の信念を見つけようとしてきた自分、偉い」ってこと。

 

まず、「ひとつの自分」なんてものはないという考えがあります。自分がいる場によって、考え方であったり立ち居振る舞いであったりが変わることは当然ですし、それは自分にとっても他者にとってもハッピーな結果をもたらすことが多いと思います。平野啓一郎の「分人主義」の影響が大きいのですが、この考え方を実感持って認識できたのは、ラクロス部という大きなコミュニティにおいて、毎日毎日早朝から100を超える人間が交わりあって活動する場でアイデンティティを模索した時間があったからこそです。なんなら僕の場合、部のシェアハウスに住み、住人はもちろん、頻繁に訪れてくる近隣の部員と24時間生活を共にしていたこともあって、人と人との繋がりを特に強く感じる場に身を置いていました。そういった場で、存在するかも分からない「ひとつの自分」を探し出し、たったひとつの姿であり続けることに固執することは無理でした。

 

そして、コミュニティによって「自分」が変わるのであれば、その自分が大切にする信念ももちろん変わり、「じゃあラクロス部にいる自分が大切にしたい信念は何?」って問いも必然的に立ち上がってきます。

 

 

この問いは、当たり前だけど難しいです。最初に書いた通り、いまだに「これだ!」と断言できるものは見つかっていません。今の自分の思想の軸をなす考えはありますが、数ヶ月後には変わっているかもしれません。もしかしたら明日にでも。

 

ただ振り返ってみると、信念を見つけ出そうと多様な考えに触れてきた経験は、間違いなく自分を強くしてくれたと感じていますし、その過程で暫定的ではあれ抱いてきた信念は今の自分の土壌になっています。

 

新しい信念を見つけ出そう(カッコよく言うと「自分をアップデートしよう」)ともがいてきたのは、紛れもなくラクロス部というコミュニティにおいてしたいろいろな経験によるところが大きいです。エネルギッシュな同期を見て焦ったり、優秀な先輩と自分を比較して劣等感を持ったり、自分が大切にしたいことが何か分からなくなってしまったり。こういった感情を一語にまとめることはできませんが、僕の場合は一種の「不足感」が自分を突き動かし、アップデートする動機になってきたんだと思います(使ってみたら予想以上にカッコ良かったので以下「アップデート」という語を使います)。

 

自分をアップデートする経験は、自分が実際に五感で体感するものであれば何でも良いと思っていて、そういった経験は正直なところラクロス部に限らずどのコミュニティでもできます。なんならコミュニティという複数の人間が集まる場に属さずとも、本やメディアを通じて得る感情も十分に経験と言うことができると思います。(これはいよいよ部活と関係ない話題ですが、アフターコロナの時代においてもリモート化が進んでいれば、コミュニティのあり方もがらっと変わり、自分で自分を駆り立てる経験をする力が必要なんだろうなとも思います。)

 

どのコミュニティでも良い、なんなら一人でも良いと言っておきながら尚、僕がラクロス部というコミュニティに身を置いているのは、ラクロス部という場で自分をアップデートし続ければいつの日か想像もできないすごい自分になれるかもしれないというワクワク感があるからです。

 

 

ややこしいのは、「自分をアップデートする」ことを最終目的にするのではなく、アップデートせざるを得ない状況に身を置き、結果的にアップデートされていることが理想だということです。これは最近ようやく実感を持って語れるようになりましたが、「自分をアップデートする」ことが最終目標になると面白いものには出会えないし、ワクワク感も湧きません。

 

まずどうしても達成したい目標があり、それを果たすために不足している能力は何か検討を立て、それを補うために部員と話し合ったり、本を読んだり、OBに会いに行ったり、はたまた海外派遣をさせてもらったりすることで結果的にアップデートできたとき、自分の血肉と実感することができたと感じます。カッコ良いカタカナ語をまた使うとセレンディピティというやつかもしれません。学術的には「内発的動機付け」と言うのかもしれませんが、この実感はとても快感です。

 

長く、抽象的な話に尽きてしまいましたが、ラクロス部というコミュニティはかなり特殊です。これまで僕が所属してきたコミュニティとは明らかに異質だと言えます。規模も、目標に対する熱量も、関わる人間の思想の多様さも、使うことができるリソースも、どの面をとっても圧倒的です。学生による任意団体で、人数も多いので、対して考えずに4年間を過ごしきることもできると思います。それでも、そんなイージーモードに身を置かず、どうしたら勝てる?どうしたら上手くなる?どうしたらチームに貢献できる?自分の核とは?部活をやる意味とは?……と自明解の無い問いを考え続ける部員で溢れています。そんな哲学者気質が一種のカルチャーなのかもしれません(それか、単にややこしい人が集まっているだけなのかもしれません)。ただ、最後に間違いなく言えるのは、ラクロス部でする様々な経験は、感情を揺らし、間違いなく自分をアップデートします。

 

これを読んでいるみなさんがラクロス部36年目の代として入部することは僕たち上級生にとって大きな刺激になります。対面できないことがちょっぴり残念ですが、みなさんがいるラクロス部でラストイヤーを過ごせたら幸せです。

 

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