26th AT 正木勝也 4年生 この代の成績は僕たちの成績として出るけど、東大のラクロス部としては一つの成績で、去年も一昨年も今年も別に変わりません。チームとして長い目でみれば取るに足らない一つの代。でも僕たちにとっては自分たちの代だし、やっぱり四年生で最後の年、これで達成できなかったらはい終わり、来年は何もできません、っていうのが決定的に違うと思います。それは下級生が想像することは出来ても、実体験じゃない。去年も負けたら引退という気持ちで頑張ろうと思ってはいましたが、やはり負けて思ったのは来年頑張ろうっていうことでした。だけど今年は負けたら来年はもうない。今年勝たないと、4年間頑張ってきた意味はそこにしかない。だから四年生っていう学年は、自分にとっても、他の四年生にとっても、重くのしかかるものがあると思います。 今年一番勝ちたいって思っているのは四年生であるはずだから、どういうチームであるべきかということを、本当に気をつけなきゃいけないのは幹部じゃなくて四年生です。スタンドやベンチの控えにいる四年生が、チームの雰囲気とかチーム像とかを好きじゃなくて、しかもそれで試合に負けたらすごく悲しいというか虚しいというか、四年間何をしてきたのだろうって感じると思います。だから、自分のしたいことをしなきゃいけないんじゃないかな、と。たとえそれが否定されたとしても、四年間やってきて、最後の最後まで自分の好きなように出来ずに終わったら何も残らないと思いますから。 僕はどうしても自分勝手な人だから、三年生の時も、四年生の時もチームのために頑張ろうと思ったことはないし、出られない四年生のためにも頑張ろうと思って試合に臨んだこともありません。僕が楽しむために試合をして、それで勝ったら嬉しいっていうのが基本的なスタンスです。今年は特に自分のためにラクロスしていると思うことが多いです。 やっぱり四年目になると、負けたくない、勝ちたいと思うことが多くて、じゃあなんで勝ちたいのって言われたら、自分がこの四年間をラクロスに捧げてきたから、そこで結果を出したいっていうのが一番の理由です。後輩は今年勝てなくても来年頑張ろうって思うし、先輩は今年だめでも来年応援しようってなると思います。今まで応援してきてくれた人も惜しかったね、これからの人生頑張ってねっという風に思うでしょう。そう考えると、四年間いろんなことを犠牲にして、様々な人に迷惑かけてきて、そして迎えた最後の一年、勝たなきゃ意味がないと一番強く思うのは自分なんです、他の誰よりも。だから自分のために頑張ろうって思って始まった一年だったし、それは今も変わらないです。 自分のために勝ちたいなら、自分のためにもっと自分で何かしてあげないといけない。自分勝手にならないときっとなにも得られない。難しいのは、チームはいろんな人の集合体だから、みんながみんな自分勝手に動くとチームが成り立たない。自分だけがうまくなるためだけに行動するのは四年生として小さいと思うし、それはあるべき四年生の姿ではない。でもどこかで自分勝手な部分を出さないと、本当にその人がチームにいる意味がない。だからきっと、「良い自分勝手さ」っていうのをよく考えて、自分勝手をすることでチームが絶対よくなるって思うなら、それはやらなきゃいけないことなんじゃないでしょうか。自分がこうしたいっていうのに素直にならないと、きっと楽しくないし、チームのためにならない。僕は、この四年間、そして今年一年を楽しかったなって思って終わりたいし、僕もみんなにそう思って終わってほしい。中途半端な自分で終わってほしくないんです。四年間かけてやってきて、この部活でこんなことやってきましたって言える何かをみんなが持ってほしい。 もちろん試合に出ている人は勝たなきゃいけないし、点決めなきゃいけないし、ゴールを守らなきゃいけないし、そうやって価値を見出していくんですが、みんながそういうわけじゃありません。それはもちろんTSもそうだし、出ていない選手もそうです。だから四年生は法政戦に負けて以来、自分たちが引退するまでこのチームでラクロスすることを最高に楽しむという誓いを立てました。自分にできることを探し、練習中でも練習外でもラクロスすることに生きる意味を感じています。何を大げさな、バカなことを言ってと笑われるかもしれません。でもこの誓いだけは僕らに平等に価値を与えてくれると信じています。 4年生と後輩 四年生になって、四年生下手くそとか、頼りないとか、自分が二年生三年生のときに程度の差はあれ思ってきたことを下級生に思われるのだなあと思いました。腹は立つけど、仕方がないことだとも思っています。高校までにやってきたスポーツの経験とか、ラクロスっていうスポーツとの相性とか、必ずしもラクロスプレイヤーとしてうまくなれるとは限らないし、やっぱりうまくなれないことの方が多い。スポーツの世界、露骨に上手い下手で評価が下ります。ラクロスが下手だと試合には出られないし、ラクロスが下手だと勝負は決められないし、技術がないと四年間後悔はするとは思います。それを見て下級生は、四年生頼りないよねって思うのは仕方がないって思うし、そう思われてしまうのは避けられない。それでも一方で、ラクロスが上手い人は上手い人なりの、下手な人は下手な人なりのチームへの貢献があるはずです。うまい人はもっとうまくなってチームの勝敗に直結するようにならなきゃいけないし、勝負を決めるような場面で三年生でも二年生でもなく四年生が託されるような存在でなくてはならない。今年の勝利を一番に願うのは四年生だから、四年生が一番うまくなくてはならない。でもやっぱり下手な人は、下手だけどその分いろいろチームのためにやっているところを後輩に見せないといけないし、思われないといけない。そういう姿を見せていたら、いくら下手で試合に出られなくても、その人に向かって頼りないなんて言えないはずです。中途半端にやっても評価されないから、あの人すげーと思われるくらいいろいろやらないといけないと思います。 二、三年生の時に思っていたから大きい声では言えないけど、四年生いけてないよねって言われるのを聞くのはやっぱり悲しいし、それは自分のことも言われているんだろうし、他の四年生のことも言われているんだろうなって思うと、どこか腹が立ちます。でもそれをずっと思って悶々としている精神状態も下級生としてよくないと思います。言うか言わないかは個人の感覚ですけど、言う人はじゃあお前いけてるのかよって言われる覚悟は必要です。自分はいけてるよってことを自分で証明しなきゃいけない責任がもちろんその発言には出ると思います。一方で、そういうことを思っていても言わない人は、やっぱり言っとけばよかったって後悔するのは弱い証拠です。四年生の下手くそがー!って言えるくらい自分もうまくならなくちゃいけないし、直接的な言葉じゃない部分で、四年生に火をつけなきゃいけないという気はします。でももちろん大前提として、四年生いけてないよねって思われる四年生はいけてないし、しょぼいことはわかっています。難しいです、四年生って。後輩たちがいないと試合にも勝てないですし、どういう関係が一番素晴らしい関係なのかが分からない。仲が良ければ勝てるのかっていったらそうではないし、お互いがお互いのことを弱いなって思っているチームが勝てるとも思えないし、そういうところのバランスが難しいなと思います。多分チームによってそのバランスは違うし、そのバランスを見つけるのは難しい。きっと答えは日本一の栄光のなかにしか存在しないんです。 狂奔 いくら頑張っても、絶対に日本一になれる方法っていうのはありません。どんなに頑張っても、絶対に早稲田に勝てる方法っていうのもありません。勝負の世界は勝つか負けるか分からない。Final4で引退するかも知れない。Finalかも知れない。全日決勝でfalconsを倒して引退するかもしれない。いくら頑張ってもその答えはその日まで分からない。僕がこれまでラクロス部でやってきた理由は、これから起こる心震える試合のためです。一試合でも多く、僕はそれを味わいたい。そして後輩たちに素晴らしい体験を残していきたい。それが今、僕がラクロス部でやりたいことです。そのためにできることの答えはすでに出ています。「ラクロスをすることやラクロスが出来るということに感謝しつつ、最大限ラクロスを楽しみ、楽しかったなと思って終えられるようにする。」これが僕の狂奔だと思います。 (20131101 edited by Ayako Takuma) Copyright BLUE BULLETS . All Rights Reserved. |